どうか忘れずに

ずっと祈っている。
あの日から。
この想いが、この動きが、時の風に晒されて、色褪せてゆかぬようにと。
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大きな災害や、戦争、事件事故があった後、人の目は当然そこに集まる。
今、世界中で、Pray for Japanの動きがあり、こんな動きまであったそうだ。
◆愛読ブログNYの遊び方より
クロアチアの首都ザグレブで、12日行われた5千人規模の反政府デモ。現在同国では政権交代を求め、若者を中心に抗議活動が頻繁に行われ、緊張が高まっています。この日も、横断幕を掲げ、太鼓を叩きながらシュプレヒコールを展開。
しかし、日の丸の掲げられた日本大使館前についた時、誰かの指示とか声かけもないのに、デモ行進が止ります。「なぜ、止まるんだ!」と声を上げた後続もすぐに事態を把握。それまで鳴り響いていたクラクションやシュプレヒコールはピタリと止み、日本の被災者の方々への黙祷が捧げられました・・・。
1分20秒くらいから黙祷へ
http://www.youtube.com/watch?v=OS6-YMzPWsE
何と素晴らしいことなのだろう。。。。
日本人が思っている以上に、日本は、世界から愛されているのかもしれない。
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私が、そのことに気付いたのは
3つの出来事。
そのうちの2つは、奇しくも、違う年の、同じ日付。
そのうちの2つは、奇しくも、違う日付の、同じ年。
一つは、1991年1月17日。湾岸戦争。
一つは、1995年1月17日。阪神大震災。
一つは、1995年3月20日。地下鉄サリン事件。
どの時も、大きく報道される。
報道には、あるピークがある。
人の噂も75日とは、本当によく言ったものだ。
2ヶ月半。それくらいが、人の興味のピークにある。
それが過ぎた頃、大概、何か注目されるような、別の事件や災害が起きる。
報道されなくなった頃、報道の目が入っていた現地の、本当の苦しみは始まる。
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私が一貫して言っているのは、何度も何度も言うけれど、
この、Pray for Japan、各地で起こるボランティアやチャリティの動き。
その動きを否定しているのでは
絶対に、無い。
その動きは本当に素晴らしく、
そしてこの私は、個人として、これをきっかけに何が出来るのか、未だ考えている。
まだ結論は出ない。
でも、一つだけ見えてきたことは
私は、音を発するなら、チャリティとかではなく、普通に、音を発信したい。
そして今は、生音に近いような、人肌の、ざらざらしたものを、発したい。
(またしつこいようだけど、大きな音や、機械的な音がする音楽をやることや、
 チャリティコンサートをする方々の動きを否定するものでは
 本当に、絶対に、決して、無い。
 私はどうするか、というだけの話だ。)
そして、ずっと思っているのは
どうかこの動きが、この想いが、日が経つにつれ、色褪せませぬように、ということだ。
過去に起こった全ての災害や全ての被災者に想いを馳せることなど出来ない。
でも、光の影になった部分に、闇が存在することを、いつも心に留めておきたい。
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今日スーパーを覗いたら、大阪なのに、ペットボトルの水やトイレットペーパーが無くなっていた。
東北に個人が送ることは、今は出来ないはずだ。
誰のための買い占めなのか、考えればすぐわかる。
5日も経てば、人の動きなど、そういうものなのだ。
キレイごとでは済まない、どろどろとした人間模様は、既に始まっている。
その中で、キレイごとはやっぱり、美しい。
そのキレイごとが、本当に美しいこととして持続することだけを
私は切に願っている。

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