フラメンコ考その1〜第一感

フラメンコの歌をやり始めて5年が経った。

大きな公演や発表会から始めさせてもらったので、曲も、その尺や歌詞も前もって決まったものを教えてもらって、練習して、それでやらせてもらう期間が長く、本来の意味でのフラメンコ的なもの、つまり、リハなしで即興でしかも踊りの人とライブをやるというのを本格的にやり始めたのは去年の2月末からだからまだ1年経ってない。数えてみたら、回数にしてまだ10回ほどだった。

フラメンコのやり始め。まず最初に音源をもらったのはシギリージャ、ソレア、ガロティン。

ガロティンはメジャーの2拍子、V7~Iの繰り返しなので、ジャズ系もやるギタリストだと3-6-2-5-1なんかの進行に変えてやることもあり、それがまた流通して普通のフラメンコギタリストでもやる。

POPS系の歌い手がまず最初にフラメンコやるなら、このガロティンあたりならテンポもゆっくりだしスペイン語わからなくても何とかカタカナで歌えなくはない。歌が伸びたり縮んだりもしないし、そこらへんに転がってる音源で練習してもそれほど破綻は無い。

ところがシギリージャやソレアとなると話は一変する。自分は一応プロミュージシャンとして長く演奏歴もあり、音楽教育も理論も一通りきっちり受けて修行もし、講師業も長くやってきた自負もあったが、シギリージャを最初に聞いてまず思ったのは

あの…すんません

頭どこですか…💧

ミュージシャンとして頭がわからんというほどの敗北感はあんまり無い、と思う🤣

さらには、頭はどこ、どころか、これは何か決まっているのか、何か決まってるとしたら、何が決まっててどこが即興なのか、テンポ、歌の成り立ち、

ってゆーかこれ、

なんすか??💧💧💧

って言うのが正直な感想だった。

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第一感”最初の2秒のなんとなく、が正しい”という本がある。愛読書のひとつ。

初めて目にするもの、耳にするものに対する直感は、人間に動物としての残された能力、つまり危機回避能力である。これは毒なのか薬なのか、有用なのか危険なのか、味方なのか敵なのか、瞬時に判断出来なければ生き抜き、生き残ってはゆけない。

直感は、それまで経験してきたものを瞬間で総動員して導きだされた、意識として自分が認識するまでの無意識下での結果だ。

直感でなんかヤダなこの人、と思って、何回か会ってると、あれ、そうでもないかも、と思い始めて、慣れてきた頃にうわっ、やられた!やっぱり最初の感じが当たってたやん、みたいな経験はどんな人にもあると思う。

フラメンコの歌を、いや、フラメンコの歌がギターで伴奏されてそれと共に踊りが踊られている映像を見た時、まず最初に思ったのは

“なんだこの、まだ混ざる前、みたいな感じは。”

だった。融合してるというよりはコラボ。みたいな。もちろんみたのは、一流とされてる人で、歌も踊りもギターもアンサンブルもちゃんと成立はしている。

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フラメンコギター、って言ったって、形も普通のガットギターで、調弦もクラシックやポップスと同じEADGBEであり、フレットも普通にある。コードの押さえ方や進行は独特とはいえ、フレットのあるギターを指で押さえる以上、普通に音符を解析できる積み方になっていて、音階的には多くはPhrygian scaleでまぁ大方の説明は付く。

なのに唄は、1/4トーンよりもっと細かい微分音みたいな、12音のスケールで説明するのはちょっと難しいようなとこを揺らしてみたり、拍の概念とは全然違うとこにあったり、歌の長さの感じも、元々はもっと長尺で歌われていていたものを、ある一定の長さに押し込めるようにして歌ってる、というか。

で、踊りはというと、ある拍子に合わせてタカツカタカタタ、みたいな細かい足をやる。これはもう、完全にリズム譜として記譜できる。

なんなのこれは?ルーツがそれぞれ全然違くね?という感じ。

違和感、とすら言える不思議な3点盛り、というのが「最初の2秒」の直感だった。

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フラメンコの歌をやるにつれ、古い伝説の歌い手から最近の流行の人までくまなく聞き、もちろんその中で好みもあり、やっぱり聞くのは好みの人に偏っては来るわけだが

どれを聞いても、なんなんだこの、何かが融合して、変化してきてまだ形が定まってないものの上をなぞっているような感じは、っていうのがずうっとあった。特に古いものに。下手とか上手いとか音楽的にとかそういうことじゃなくて。これが大元ではなく、何か別のものにはっきりと起源があり、それは今もまだ変化の途中、みたいな。どこかまだわからない場所に向かっているような。それはなんだ。

ジャズファンク、遡ってはジャズブルースや、ボサノバとかの初期の頃みたいな感じっていうと、界隈の人々には感じが分かってもらえるだろうか。

これでひとつの完成形、っていうのじゃない、何か。まだ、全然途中。文化と文化が出会ったとこ、のような。混ざり、融合し、新たな一つになるまだ前の段階、というか。

っていう話を今朝夫=フラメンコギター歴○十年、にしていたら、

昔何かのフラメンコの文献で、フラメンコ、ギターはクラシックギターの人にお願いして弾いてもらったのが最初、って読んだことがあるよ

ちょ。

それ早よ言うてよ…笑

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最近回ってきた動画、9拍子のトルコの民族音楽。

シギリージャみたいな拍子で、やっぱりフラメンコはインドあたりを起源としてるっていうのはそうなのかな、とか思いながら、あれこれ民族音楽を聴いてみている。

並行してスペインの歴史なんかも調べていると、そういえばスペインはもともとイスラム支配下だったよな。そういやフラメンコの歌ってなんかコーランみたいな節回しだよなと思ってYouTube。ほんといい時代ですよね。コーランてどんなん、てスマホで検索したら出てくるの。

コーランなんて、まともに聞いたことなかったし、前にイスタンブールで聞いた時も、やっぱエキゾチック~くらいしか思わなかったのだが、今聞いてみると

めっさ分かるやん…いや、意味はわからんねけど。構成的なもんが。

歌い口や発声、音の抑揚や揺らし方、音程感、明らかにこの辺りにルーツがあるよね、フラメンコの歌。

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フラメンコの歌だけ遡っても、ダメな気がずっとしてた。古いものを聴け、ってよく言われるのだけど、そうじゃなくて、その更に前っていうか。何と何が混ざったからそうなったのか、何をたどったからそうなったのか、っていう、自分なりの納得というか。

それを職業にしてたくらいの研究家、分析者体質なもので、こういうものの起源やルーツ、成り立ちを解析するのは好きだし得意。

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どんなものも、出会って、共に歩んで、だんだん融合してきて、2つが二人三脚になり、やがてひとつになり、それがまた違う何かに出会い、って、どんどん変化していく。

その、”一つの何かになる” までの変化の過程にいると、自身も変化していながら、自身の変化を恐れるみたいなとこがある。変わりたくない、怖い。

あたしはそういうものの、切先に居たい。

変化上等、それが一番人生で楽しい。

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しかし謎なのは、歌は東を上流に、色々巻き込んで流れてきたんかなと思うんやけど、東の踊りはどっちかというとインド舞踊なんかもそうだが、飛んだり跳ねたり足をばしばし打ったりはしない、地を這うような踊りが多いと思うねけど、あのタップダンスばりの足技はどこから来てるのかな?タップダンスやったりして??笑

フラメンコ考、たまに書く、と思います。

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