大手術

昨夜のレッスンで久々にがっつりカウンセリング。
弟子っこ最後、嬉し泣きで号泣。

生温い抱擁より、一発げんこつ欲しい時もある。

音楽続ければ雑音が増える。
やり始めた時は音楽いいね!とか言われても

本気でやるとか言おうものなら「食べていけるの?」
本気で続けてたら「いつまでやってるの?」
本気でずっと続けてると「将来どうするの?」

食えることと自分の音楽追求することとはまた別。
食えることに目を奪われてはいけない。

周りの人(というか自分)を納得させるために
”とりあえず××して稼ごう”とか
仮の目標作っちゃったりとかするともう最悪。

仮の目標に向かって走ってる時は
それなりに達成感あるし良いけど
それを達成してしばらくしたら
・・・っていうかコレジャナカッタ…てなる時が来る。

その時には既にまあまあ時間も経過しているわけで
そこで考え直して、さあて、と軌道修正したい時には
年を取ってたりする。

年とってからの軌道修正も本人次第でいくらでも出来るけど
体力や環境が伴いづらくなる。
大きい物を捨てなきゃいけなかったり。
捨てる勇気も年とともに薄れるし。

そこへもってきて女性は子供を産むのか産まないのかという
ある程度年齢制限のかかった選択がある。

核心に目を向けるのはしんどいけど
自分の中にいる、幼い子供のような自分に
本当は自分は何がしたかったのかしたいのか問いかけることも必要。

練習したりして時間を消費してごまかさないで
部屋で一日、紅茶でも飲みながら
好きな音楽でもかけながら。

それは決してさぼってるわけではないのだけど
さぼってる気がして、と、と、と、とりあえず練習!とかって
スケール練習したりリズムトレーニングしたり
何ぞコピーしてる時はやってる感あって自分をごまかせるけど
そんなものは時間と努力の無駄。

ただの無駄、という努力の浪費は存在する。
努力は無駄じゃなかったはずというのは
自分を納得させるための言い訳に過ぎない。

レッスンに来た時はちょっと強がりの見えた弟子っこ
がっつり話して最後号泣して
涙拭いた顔はとっても晴れやかで
その人にしてはあまり今まで見たことの無い
きっ、と上がった目尻をして
目に力が宿っていた。

私のレッスンは他の優しい先生に比べたら
多分とてもしんどい。
良く出来たねとか言わないし
むしろ傷口に手を突っ込んでざくざく裂いて
その奥に入り込んだ膿を素手で掻きだすようなことをする。

でもその時は痛いけど、治りは早い。
こっちも血だらけになるけど。
頑張れ。あたしは応援してるよ。
unnamed.jpg

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です