弾き語り考

最近
弾き語り、というスタイルの難しさを
つくづく実感している。


当たり前なのだが
歌う、ということと
弾く、ということを
同時にやっているわけで

歌のサウンド
ピアノのサウンド
そして
ピアノ&歌、というサウンド

その3つのサウンドに耳を広げる必要がある。

弾くことに意識を奪われては歌えないし
歌うことに意識を囚われては弾けない

片方に気を取られていたら、全体のサウンドに
耳が行かない。

そして弾き歌うことに慣れると今度は
鳴らし慣れた音の癖で演奏してしまい
音楽が、音楽にならず
音の羅列で流れてしまう。

本当に奏でたい音では無い
本当に聞こえている音では無い

ただ
”習慣で、鳴らせる音”を、鳴らしてしまう。

===
日常生活でも、習慣に流されていることは多い。

本当にやりたいことは沢山あるのに
朝起き、仕事に行き、時折友人と飲み、
休日は趣味に費やす、というような
日常という慣習に紛れている本音。

本音の種子から出た芽は、何かの拍子にふと土中から顔を覗かせるが
周囲と違う花が咲くことを恐れ
また日常の畑の中に、見つからなかったふりで、隠れていく。

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最近
【音色】
について、よく考える。

音楽理論書では
音楽は
旋律、和声、リズムの三要素で出来ている
とあり
Wikipediaの「音楽」の項にも、そう述べられていて

理論書には
和声の積み重ね方や、音の並べ方について
多くのページが割かれている、というか
ページのほとんどがそれだ。理論書だから、当然だけど。

しかし音楽とは結局
音色、に行き着くのではないか。

歌い手その人の持つ、「声」そのものの魅力。
弾き手その人の奏でる、「音」そのものの魅力。
素晴らしい音列で構成されたメロディを奏でても
最終的には、その人の音色がどれだけ美しいか

その人の音色が、どれだけ、その人自身か、ということに
尽きるのではないか。

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弾いて歌う時
聞こえている音は

歌いたい歌は
どんな音なのか。
どんな声なのか。

雲を遏む(とどむ)ような音を、どうやったら奏でられるのか。

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最近、ある大先輩ピアニストに
レッスンをお願いした。

雲中に隠れる音の糸口の場所を
指し示してもらえれば、くらいに思っていたのだが
目から鱗が
500枚くらい落ちた。

教えて頂いたことをその場で早速実践するも
頭使いすぎて1曲終わったら呆然、、、
これほどに
耳を開いて演奏はしていなかった。

なんてことだ。
教えていただいたのは四則演算の手法の一部。
とても難しいけれど
長い間見えなかった糸口が
少し、見えた。

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この2日間、来月のライブのための
リハーサルを家でしていたのだが
全然弾けないし歌えない。
頭と耳が全く追い付かない。

自然と、テンポは遅くなり
耳を掠める一音を手に掴み、声にするので精いっぱいだ。
弾いて歌うのって
こんな難しかったっけ。。。。。

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私は
話すのが速いのだが
思考が先行するのを追いかけて喋っているので
自然早くなってしまうのだけど

この思考自体を
本当に自分が話したい言葉なのか考えれば
もう少しゆっくり
話せるようになるのかもしれない。

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それにしても
弾いて歌うのって

本当に難しく
本当に
楽しい。

10月、まずは今週末の中路英明氏とのDUO。
このピアニスト師匠の手から紡ぎだされたような
洗練の一音を、一瞬でもいいから
奏でたい。
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