我が街十三と、はながさ

先週の金曜、我が街・十三(じゅうそう)駅すぐ西側の
通称・小便横丁で、大火災があった。

36店舗1500平米が焼失。

十三屋、ふかどん、請来軒、十三トリス、大歩危。。。
馴染みの店も、知り合いの店も
燃えてしまった。

その横丁の一番端に
沖縄料理の【はながさ】がある。

私も、最もよく通っている店で
テレビの映像や写真からも
火が間際に迫っているのは分かっていた。

ほぼ鎮火した、という当日の夕方、店のパパに電話がつながった。
その第一声

「ああー、ねぇね(と呼ばれています)

ごめんねーーー!!!
迷惑かけてーーーー!!!
ごめんねーーーーーーー!!!!!」

なんという人だ。。。

その時は、なるべく早く営業を再開したい、と言っていたが
火災翌日(土曜)はまだ、現場検証中で
前を通ることも出来なかった。

そして昨日(月曜。火災から3日後)。
レッスンを終えて、どうなっているか様子を見に行くと
見慣れた碧い看板に電気が灯っていた。

やっている。。。!

駆け込んだ。

いつもの店員さんがいつもの声で迎えてくれ
その奥にパパの顔が。
どっちも、言葉にならない。

「だめだ、ねぇねの顔見たら
涙出てきちゃった。。。。」

ありがとうね、ありがとうね、と繰り返すパパ。
迎えてくれた店員さんに
ねぇね、当日電話くれたんだよ、と話してくれるパパの顔には
明らかに疲労が見える。

日曜(火災2日後)から店を再開したらしいが
火災の熱で電話線が溶け、電話が通じたのは
昨夜、私が店に入る30分ほど前だったそうだ。

島んちゅーはい(シークァサーの酎ハイ)にグルクンのから揚げ
ふーちゃんぷる、といういつものセットを頼んで、店を眺める。

一人で行く時は、1階の立ち飲み(2階は座り席)の
カウンター右奥の端が定位置。

そこからは、小気味よくお客さんと会話しながら
いいテンポでお酒や料理を出す
パパや店員さんの様子を見ることが出来る
十三の中でも、最も好きな場所のひとつ。
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===
当日の火災は、あちこちでプロパンが爆発し
はながさの真上にも火の手が迫り、火の粉が振りかかって
本当に寸前のところだったそうだ。

他のお店もあるし
再開を、手放しでは喜べない。
この通りは、半年は通れないだろうね
人の流れも変わるよ。

でもさ、頑張らないとね。
いつも本当によくしてくれてね
ありがとうね

そう言ってくれるパパの頭上に
毎年作っているという、お店の周年の泡盛が並ぶ。

10周年の時は、イベント考えてるからね。
その時は絶対歌ってね、と、ごく最近も話していたところだった。

そうして話している間にも、お客さんがどんどん入れ替わる。
立ち飲みは、お客さんの回転が速い。

来るお客さんがみんな
店員さんと握手したり
ハイタッチしたり
抱き合ったり、涙ぐんだり。

それぞれの想いがある。
そしてこんな人間模様が
どのお店にもあった。

フランチャイズではない、人と人が作る店。
そこへ、2階から、ママが降りてきた。
ママの顔を見た瞬間
それまでこらえていた涙腺は完全に決壊。

あんなに人前で泣いたのは
1.17の時以来だった。

===
飲むうちに、他の常連さんたちをパパに紹介され、話が弾む。
弾む中にも、僕は○○によく行ってた、俺は××、と
それぞれの思い入れのあるお店の話になる。

帰り際に常連さんに
「もう一杯飲みぃな、ごちそうするわ」と言われ
「いや、もう飲めない」
なんて言ったのは人生初じゃないだろうか。。。どれほど飲んだんだろう。
もちろん、頂いたけど。

手放しでは喜べない。
でも、はながさが残ってくれて、良かった。

再建への道はたやすく無い。
いかんせん、この通りは狭く、重機が入れない。
法律の壁もある。
でも、十三を愛する人間はみんな
この場所が再び立ち上がるのを、待っている。

===
こうしてまた
手元にある幸せは、いつでもそこに在るものじゃないことを
思い知らされる。

でも、もうそんなことでいちいち
これが岐路だなんて思わない。
ここが家やからね。自分の。

昨日の帰り際に、パパがこう言ってくれた。
「ねぇねは、何か沖縄の人みたいだぁ。
熱くてさ、人なつっこくてさ。
ここがねぇねの家だからさ。
いつでも顔見せてよ。」
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