時の河〜18年目の、1.17

18年目の1.17。
神戸・東遊園地へ。
2年ぶり、3度目。
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昨年末の、いくつかの雪解け。
今年は、新たな芽吹きの年になりそうなので
そこに向かう決意表明に。
あの場所は、お茶を飲みに行くような気持ちでは行けない。
ある程度の、覚悟のようなものが、必要。

===
今年は
”間もなく、5時46分です”というアナウンスの後の6分間が
きーーーん、、、、、という音がするほどに
静かだった。
一滴が零れる前の、静かな水面の緊張のような。
その時刻が来て、”黙祷” と一言、告げられる。
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===
献花の池の下に透ける小部屋に降り
並んだ名前から友を見つけて触れる。
冷たい石板の、小さな名前。
友は当時、26歳。
18年経った今の方が
いかにあの時、彼女が若く逝ってしまったかを、より強く感じる。

===
18年経っても結局、根本的なところは
何も変わらない。

哀しみが、消えるわけでもなく
やる方無さの落ち着く先が、見つかるわけでもなく
それでも、未来は刻々と前からやって来て
過ぎた時間は後ろに流れ去り
気持ちが前を向いていようが後ろを向いていようが
淡々と、時は、向こうからこちらを訪ねてくる。
その、時の河に向かって泳いでいくことが
”乗り越える”ということならば
そうなのだろう。

けれど実際は、そんな揚々とした
気力に満ち溢れたものでもなく
いつか辿り着き力果て、河に流されて、自分が過去になるまで
ただただ、粛々と、泳いで行く。

それで良いのだと思う。

起こったことに何故何故と後悔を抱いても
時の河の流れは、早くも遅くもならず
逆流もしない。

その事実を受け入れ、諦めて

そう
あきらめて

それでも、流れてくる河を、ただ、泳ぎ
命の源流を目指して、昇っていく。
18年経って、震災直後から変わったのは
こう思い至ったこと。
勇気なのか、諦めなのか
時間薬なのか、年齢なのかは
知らない。

===
2年前にこの式典で出会って友達になった女性と待ち合わせて
式に参加したのだが
黙祷の前に2人で話していた様子が
記者の目に留まったらしく、その後、話しかけられた。

当時は小3だったという、若い女性の記者。
長い間、話しかけるタイミングを待っておられたようで
その後も、随分話し込んだ。
12年目に初めて来たときも
2年前も取材されたが
今回も。
2年前の記事。
20110118読売新聞〜震災16年目取材記事.jpg

今回、点灯した竹筒の灯籠には
「伝えよう」
という文字があったが
記者の女性に、何か、伝えられただろうか。
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===

クリスマス、正月、誕生日、そして、1.17。
黙祷の、静かに凍る空気が、除夜の鐘のように響き
それが過ぎると、ようやく
年が明けた気がする。
今年の1.17は、珍しく、穏やかで風の無い朝。
また、ここから、新しい一日が始まる。
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