時の紗幕

先週のグループライドから6日。

意識が戻られていなかった方のご家族からご連絡を頂き、なんと意識が戻り、その日のうちに起き上がれるようになり、今日から歩行訓練を開始されるほどに驚異的に回復されてるとのこと。医師の方の話でも、奇跡的だという。

本当に
本当に良かった。。。

その方は、坂に入ったところでそれまで3番目を走っていた私を軽々と抜いてゆかれた。私より自転車歴は長く、坂に対する走り方も慣れておられるようだった。

坂では抜いてくださいね、と言っておいた直後に、特に気合を入れたような様子もなく、無駄な力もなく抜いてゆかれた直後の転倒だった。

その時の景色が頭を離れない。

阪神での震災で友人が亡くなり、前夜まで輝いていた神戸の街の灯が一瞬で消え、死を身近に感じ、いつ何が起こってもおかしくない、人はいつか死ぬけど、ほんとにそれはいつかわからない、と覚悟はしていた。いや、してたつもりだった。

死は身近にある、のではなかった。
身近に、とかいうような遠さじゃなかった。

目の前にある時間の紗幕で区切られた
手を伸ばしたら触れられるすぐそこにいつもある。

その透明な薄い時間の幕はいつも目の前に垂れ下がっていて、ふとした瞬間にそれは開き、今世と来世を分けている。


今年の春に10年やった昼の仕事を辞めたが、辞める少し前から、”稼ぐ” “働く”ということに対して大きく考えが変わってきた。変わってきたから辞めたとも言える。

それまでは右肩上がりに収入や業績を伸ばすことが前提。しかしそれに引き換え、香雪との時間や自分自身の時間を随分と蔑ろにしていた。

家でちゃんとご飯作って食べるとか。
後ろに予定が無い状態でのんびりと散歩するとか。

今日はこの後どこどこへ出かけないと行けないから、と香雪を急き立てるように散歩してたけど、香雪にしてみれば意味がわからない。彼女の犬生はいくら長くても20年とかだ。その時間をこんな風に過ごしてていいのか。

そもそも、子供がいるわけでもないし、自分が食えればそれでいい。やりたいこともかなりやってきたし、特に子孫に残すべき財も要らない。多少の蓄えがあれば、あとはそんな血眼になって貯めたり働いたりしなくても、暮らせるだけ働けばいいじゃないか。

そうなると、これまでずっとそうしてきた右肩上がり目標のやり方は、必要なかった。

昼の仕事をやめて、時間は本当に沢山出来た。追い立てられるような毎日から解放され、ひとつひとつの仕事に対してしっかり時間をかけて取り組めるようになった。

その結果、今年の目標だった、毎月フラメンコ仕事が入るようにしたい、という目標は達成できたし、来年ももう、年末まで毎月フラメンコの仕事を頂いている。

そして、今まで触れたことも興味も無かった自転車=ロードバイクを始められたのも、時間があったからだ。

時間は金では買えない。


いつ向こう側に入るか分からない時の紗幕。

まだこちら側に居る間に、味わいたいものは沢山あり、時間も今ならある。

だが少なくとも、大して興味のない仕事やものに費やしていられるほど、暇でも無い。

香雪。9歳。銀杏の枯れ葉をさくさく踏み締めるのがこの季節の楽しみ。

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