桜よ

”深草の 野辺の桜し 心あらば 今年ばかりは 墨染に咲け”
上野岑雄(古今和歌集)
・・・・・
一昨日、音楽を通じて知り合った仲間が亡くなった。
心暖かく、いつも真摯で、頑張り屋だった彼。
ワークショップに、遠方から来ては
「めぐさん!本当にいつもありがとうございます。
これからも勉強させてもらいます!
また来てもいいですか?ってか来ますからよろしくお願いします!」
と笑顔で固く握手して、じゃあまた!じゃあまた!と何度も振り返る姿が印象的だった、まだ若い彼。
いつもありがとう、は、こっちの台詞なのに、彼にはいつも、先にありがとうを言われた。
・・・
2週間前にも、友人のご尊父が急逝したという知らせを聞いた。
昨日から降り続く、諸行無常の雨。
何も出来なかった自分、そして今も何も出来ない自分。
その反面
当人達にとっては大事件でも
関係のない、、、いや、彼を知っている自分にとってすら
今日も目覚め、朝食を取って始まる、いつも通りの、日常の一こまに過ぎず
また明日からも、日常が始まり、そこを淡々と、生きてゆけてしまう。
・・・
年を重ねればそれだけ、何度も、永遠の別れに遭遇する。天寿を全うする人、志半ばで召される人、若くして逝く人、生き抜いた人
見送るうちに覚えて行く、別れとの付き合い方。
それでも
何度経験してもやはり
この、哀悼、というものには
慣れるものではない。
・・・
私が以前住んでいた、京都・墨染の地にある、墨染桜。いつもレッスンをしていた会場の隣にある、墨染寺に咲いている。
平安時代、太政大臣・藤原基経が亡くなった際、歌人・上野峯雄(かんつけのみねお)が悲しんで歌を詠むと、桜がその心を感じて薄墨色に咲くようになったという言われがあり
源氏物語にも、藤壷の上が亡くなった時に、光源氏がこの歌をつぶやいて嘆き悲しむという場面が登場する。
その名の通り、咲いた花の色は白に近い桜で、満開に近づくごとに、薄墨を少したらしたような、物悲しい桜色になっていく。
京都は、今日は冷たい雨が降っているらしい。
墨染の桜はもう、咲いただろうか。
・・・
今私が出来るのは、こうして彼を思い出すことだけだが
もし出来るなら
大好きだった墨染の桜よ
今日だけは
彼の上に、散華となって
咲いたばかりのその花びらを
西の空に、届けてくれ。
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