歌い手の仕事

とあるオーディションの予選に通り、来月本戦があるから、と
昨日のレッスンに
オーディションを受けるための曲を持ってきた弟子。

夏らしい、広がりのある明るい歌詞の曲だったのだが
その中にひとつだけ
2番で突然
零戦
という単語が登場した。

他の歌詞は

美しいものがそこにある、とか
雲に描いた約束、とか
大きな青い夏空の風景と夢を描いた
綺麗な歌詞なのに

その【零戦】という、金属の冷たい響きを持った単語だけが
水面に落とした墨滴のように
歌の透明感に、薄灰の影をつけていた。

=====
弟子が、一通り歌ったあと、こういった。

「私の歌、音程とか、どうでしょうか、、、」
『・・・とは?』

「いや、なんかこう、、、、私何でこんな音程悪いんですかね。」
『音程?どこら辺がそう思ったの。』

「うーん。なんていうんですかね。
なんか、ぺろぺろしてるというか
定まってないっていうか。」

『ぺろぺろして定まってないのは
あなたのキャラでしょ?笑
音程は別に、定まってなくないよ。』

「あ、そうか、、、、(^^;)」
『それよりもさあ。。。。』

~~~~~
歌い手の仕事は
歌を歌うことだ。

楽器奏者と決定的に違うのは
そこに、言葉が、存在する、ということ。
そこに、文章が、存在する、ということ。
文章の向こうには、物語がある。

~~~~~
この歌の作家が、この歌でわざわざ
【零戦】という言葉を用いたのは
なぜだったのか。

その単語を引っ張ってくることによって生まれる
現代日本の夏、が絶対的に持つ
敗戦国としての夏。

もともとあった”盆”というイメージと重なり
日本の夏には、どこか
南国のそれとは違った
突き抜け切らない、慰霊の哀しみと湿気を帯びた色がある。

夏の青空と夢を歌った、晴れ晴れとした歌のはずなのに
筆でさっと刷くように描かれた陰。

零戦が飛んでいた時代というと、もう70年以上前。
そのたった一単語でこの歌は突然
70年という長い時間を背負う。
今の夏空に、歴史軸を加える一言。

=====
人は成長する。
最初は音程を取り、リズムを取るのに必死だった人も
ナチュラルに出来るようになり
歌も次の段階が訪れる。

その時に、いつまでももう解決した悩みに
(もちろん、音程の問題はどんなに成長しても折々現れるが)
しがみつかず
というより
”音程が悪い”という安易な言い訳に逃げて
自分が持っているもっと重要な他の課題から目をそらさず

『そろそろ、歌い手として、次の段階に行ってほしいのよね。』
「そうですね、、、、」

=====
人が書いた歌を歌う時に限らない。
自分で詞曲を描いても同じことだ。
選んだ言葉の意味。

心と心を重ねて、という歌詞の
一つ目の”心”は、私の心。
二つ目の”心”は、他の誰かの心。

重ねた”心”は、同じ心ではない。
言葉の意味を理解すればするほど
出てくる声は当然変わる。

無表情に こころとーこころをーかさねてーと歌うわけには
当然ゆかなくなる。

~~~~~
光、という単語一つとっても
その部分を聞いただけで
どんな光なのか見えるような。
強いのか、弱いのか、どんな色なのか。。。
導くのか、追いかけてくるのか、、、

歌が、”歌”である以上
言葉を、その言葉のように表現するのが
歌い手の仕事だと
私は思っているし
歌い手という芸を選んだ以上
言葉を描く音楽家でありたい。
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