武闘派

先月末に死にかけたことは、ヒーテレワンマンのレポート日記にも書きましたが、そのことと、その前の週の塩次伸二氏、そして高校の後輩、という二日続けての訃報、そして塩次氏のお別れ会、ということが、全部絡まりあって、否が応でも自分の深層を掘り下げざるを得ない、そんな11月。
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音楽への携わり方は沢山あって、聞く人、制作する人、歌う人、演奏する人、指導する人、指導される人・・・
私の、音への携わり方は
最前線に立ち、弾き、歌うこと。
それが自分でも一番心地よく、そこが自分の居場所、という感じがする。
同じミュージシャンでも、プレイヤーサイドの人と、クリエイターサイドの人と、フロントサイドの人がいて、自分とは別サイドの人の意見は、なかなか面白く
ある先輩Musician(プレイヤーサイド)には
「お前は作家で、且つフロントやろ。それでそのライブ本数は、めっちゃ多いで。」
あるクリエイターサイドの人には
「ライブがメインの人たち、って、”武闘派”でしょ。凄いエネルギーだよね。」
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【武闘派】
この言葉が最近、ちょっと気に入っている。
その時、その場でしか生まれない音の現場に生きる。私の周りはそういう人が多い。だからこそ、自分の技や精神に磨きをかけていく。
1回1回が、その時限りの真剣勝負。それは、Musician同士でもそうだし、来て下さるお客さんともそう。失敗して、次は頑張ります、というわけにはいかない。
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最近新聞で、指揮者・佐渡裕氏のインタビュー記事を読んだ。
彼が、京都市立芸大を卒業し、レッスンや営業的な演奏活動でもって、同級生で会社員の人と同等かそれ以上を稼いで暮らしていたある時、彼が何かで小澤征爾氏と話す機会を持ったらしい。
小澤氏が、彼のそのときの状況を聞いて、一言。
「そんな、生活のための音楽など辞めてしまえ!」
正に、一蹴だったらしい。
しかしそのことが、佐渡氏をレナード・バーンスタインの元へ走らせ、今を築くこととなった、あのとき小澤氏に一喝されてなかったら分からなかった、とあった。
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Musicianである以上、生活のための音楽と、自分自身のための音楽との線引きは実に難しい。霞を食って生きられるわけもなく、かといって、生活のために自身を削るような音楽ばかりしていたら、どんどん手垢にまみれた、力のベクトルの無い音になっていく。
ちゃんとある一つの方を向いた音を出すためには
己が誰で
今どこに居て
どこへ向かおうとしているのか
ということを、いつも念頭に置いておく必要がある。
日々の中で紛れてしまいそうになるこのコトを
この【武闘派】という言葉は、何か、鼓舞してくれる感じがする。

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