芸に生きる者は

先々週のことになるのですが、大阪松竹座へ、初めて歌舞伎を見に行ってきました。
素晴らしい建物。大阪にもいい場所がありますねー。

七月大歌舞伎と題された公演で、昼の部、夜の部とあり、私が見に行ったのは昼の部。
花道の真横、前から4列目。

公演は
・播州皿屋敷
・素襖落
・江戸唄情節
の3つ。

播州皿屋敷は、そう、かの有名な、お菊さんのお話。

素襖落は、お酒の大好きな大名が、酒をふるまわれてご機嫌かつふらふらになる姿が楽しい狂言仕立てのお話。

で、最後の江戸唄情節
詳しい内容はこのリンクを。

やくざ上がりだが腕は江戸一番の三味線弾き・弥市と、その恋人の芸者・米吉を中心として描かれる人情劇で、前半は腕は確かだが性根までやくざから足を洗い切れていないとおかみさんから言われ苦悩する弥市の姿が、後半は妻となった米吉=お米との夫婦愛が見所。

話自体は、吉本新喜劇のように、情景も台詞も、とても分かりやすい展開。
”腕は立つがやくざから足を洗い切れてない、芸に生きる者は覚悟を決めろ”と、おかみさんから言われる場面で幕が開けるのですが
その辺りから
・・・やばいな。この展開は。。。。と。

【芸に生きる者として、何を選び、何を貫き、どう生きるか】という内容は、単に感動するいい話、というよりも、自分の身につまされるような台詞ばかり。

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若いうちは、うまくなりたい、プロになりたい、どこどこに出たい、有名な人とやりたい、有名になりたい、と、欲も沢山あり、それに伴う技術や人間力、と、いわば何かを『身につける』『手に入れる』時期。
ところが年を経るにつれ、今度は、手放すことが必要になってくる。
自分とは何か
自分にとって音楽とは何か
何を持って生きるのか
どう死ぬのか

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この演目が書かれる過程で練られた【芸の道】というテーマに、感動した、泣けた、というだけでは書き切れない、さあこれを見てお前はどう生きてどう死ぬんだ、と問われたような気持ちになりました。

江戸を追われた弥市は、田舎で細々と三味線の先生をしながら生計を立てながら妻と暮らしていましたが、最後は危険を冒して江戸へ戻り、舞台に復帰し、それを見届けた妻は亡くなり、弥市は再び舞台に生きようと決心します。
ちょうど今年、個人レッスンを全部辞めた自分と、重なる部分もあり。

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音楽を教えるのは、教育であって、芸では無い。
教育と、芸は、
まったく別のもの。

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それにしても、能、狂言は何度も見たことがあったのですが、歌舞伎を初めて見て、歌舞伎が最も大衆演芸だなあと思った。敷居が高いと思っていたのですが、全然そんなこと無いんですね。

行った日はたまたま、京都の舞妓さんや芸妓さん、三味線や長唄のお師匠さんたちがずらりと勢揃いして来られていた日で、客席もなかなか雅な雰囲気を楽しめました。
弥市を演じた片岡仁左衛門さんのシュッとしたオトコマエっぷりが本当に素敵。
人気あるの分かるなあ。。。。

そして本当にため息をついて感心したのは、女形の役者さんの演技。
お米を演じた時蔵さんや、素襖落で姫を演じた梅枝さんの演技が、私は好きでした。
また九月にも大歌舞伎があるので、ぜひ時間を作って見に行ってみたいと思います☆

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