+Something

夜遅く、友人の御母堂が逝去されたとの知らせを受け
通夜に駆けつけた。
数年前から体を悪くされていたのは聞いていて
一時は余命宣告もされたということだったが
ご家族のご支援や、ご本人の、私はまだ働きたいの!という頑張りもあり
それよりかなり長く、生きられたとのことだった。
友人にも会えたが、哀しさの中にも、最期を見送ったという
一片の清々しさがあり、少し安心した。
故人のご冥福を、心より、お祈りしたい。

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帰り道。
自分が今、余命宣告を受けたら、どう思うだろう、と考えた。

===
1.17以降、いつ命が終いえても後悔しないようにと
必死で生きて来た。
やりたいことは全部やる
その日に全力投球する
翌日に引き延ばさない
必要最低限の物以外は持たない。。。

そうしているうちに
5年、10年、15年と年月が経つほど
一日の濃度は濃くなり
その分、モノへの執着は薄くなり
数年前には、本棚や食器棚、たんす、といった
大型家具を全て売り払い
本やCDも、手元にいつも置いておきたいもの以外は
全部売り払った。

結果、小さな家の中には
本当にいつも使うものと
これだけは、という少しの想い出の品々と
大切にしている数点の家具、という
ミニマムな暮らしになった。

もともとあまり物欲が強い方ではないし
物事への執着心というのが、あまり無いのもあり
それはそれですっきりした暮らしなのかもしれないが
本当にそれでいいのだろうかとも、最近思い始めている。

断捨離という言葉や、片付けマニュアルといったものが流行り
一時世の中は捨てブームに包まれたが
一片の無駄も無い生活が、果たして本当に楽しいのだろうか。

===
【生】とは即ち、現世への執着と欲求であり
命や物、人への執着に他ならない。
過ぎたるは及ばざるが如し、ではあるが
その執着と欲求こそが
人を生きさせ、前へ進めさせるのではないだろうか?

あれが欲しい
これがしたい
誰かに会いたい
ここへ行きたい
ああなりたい

いつ死んでも後悔しない、という生き方はある意味
いつ死んでもいいという諦観と表裏一体でもある。

がむしゃらな目標や目的への執着で
前を向いて、来年出来ることも今日やるくらいの勢いがある時は
良いかもしれないが
ここ数年、ふと後者を感じる時が多い気がしている。

確かにいつ死んでも後悔しないように生きては来たが
死に支度になっていないだろうか?
それよりももう少し
今は死ねない、今死んだら後悔する、成仏できない、くらいの
満たされない執着と欲求を
持った方がいいのではないだろうか。

私は少々、色々と
捨てすぎたような気がしている。

===
先日、フェリーさんふらわあの演奏仕事で大分に着いた後
湯布院の街をゆっくりと歩いていると
かわいらしい雑貨屋さんが目に留まり
そこで階段型の小さな飾り棚と、一輪挿しを買い求めた。

間接照明に変えたり、それに映える写真立てを買ったりして
家の中に、小さな物が、ここ半年ほど、少し増えた。
暮らしていくには必要の無い、いわば、無駄なものだ。

しかし、人生の本当の喜びは
Minimum necessary + Something
(必要最低限のもの+何か)

この +Somethingにあるのじゃないだろうか。

学校帰りの寄り道とか
友人とただ飲むだけの時間とか
ああ、また買ってしまった、というようなコンビニの新商品とか
そういった、一見無駄と思えるような部分に
あるんじゃないだろうか。

===
半年前に置いた、3つのスポットが付いた照明の傍の壁に
湯布院で買った飾り棚をつけて
引き出しにしまってあった
NYCで友達がくれたショットグラスと
バルセロナで買った、小さなガラスの灰皿とを
湯布院で買った、花瓶と一緒に飾ってみた。

ちょうど季節は2月。
ガーデニングも、長い間、お休みしてしまっているが
そういえばそろそろ春〜夏花の仕込にいい季節。
久しぶりに
花でも育ててみますか。

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