7つ目のダイヤル

大学時代、近所に住んでいた元・文芸部の同級生と
【作詞研究会】をやっていた時期がある。

趣味で小説を書いていた彼女が
「ねえ、こういう詩の書き方って
歌詞になるかなあ?」と質問してきたことがきっかけ。

歌を書いてみようかなあ、と漠然と思っていた頃で
お互いの近況報告ついでに
月に1、2回、私の家で
お茶とお菓子を傍において
お互いの詞を見せ合っては批評したり、作り直したり
新しいアイデアを出し合ったりしていた。

出版するとか
お金にするとか
歌にして売ろうとか
そういう物欲の無い、単純な【創作】という時間。

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そんな会をしていたことがある、と
オリジナルを主に書いている後輩と話していて
それが、その後輩のちょうど同じ年くらいの頃だと言うと
「一度それ、見せて下さいよ!」と言われ
どんな歌詞を書いていたのか、本棚にまとめてあったノートを
久しぶりに開いてみた。

裏紙に書いて、仕上がったら清書するという形を取っていたので
訂正の跡は無いが
その頃愛用していた万年筆で、きっちりと書かれていた。
その中に
”もう23時を過ぎるのに
7つ目のダイヤルが回せない”
という歌詞があった。

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携帯もポケベルも無い時代。
好きな人に電話するのに、関門は沢山ある。
まず、かけるかどうか。
かけたらかけたで、その電話に誰が出るか。
本人が居なかった時の気まずさ。
近くに住んでいれば、好きな人に電話するのに市外局番は要らない。

私が当時住んでいた大阪や神戸だと、7桁押せば良かった。
(大阪の市内局番が4桁になるよりまだ前の話です)

ニューミュージック、とか歌謡曲、と言われていた時代には
切ない思いを表現するのに
ダイヤルが回せないとか、受話器を取って、という
表現がよく出てきていたけれど
ポケベルになり、携帯になり、メールになり
手段は変わっても、やっぱりその気持ちは同じ。

書いたメールの送信ボタンや
アドレス帳から名前を選び、発信ボタンを押すかどうかという
最後の儀式は
7つ目のダイヤルを回すのと変わらない。

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7つ目のダイヤルを回すのに
胸がひりひりして、心臓が浮き上がってくるような想い。
いいな。
恋だなあ。。。

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