横浜定期投稿、2018夏編

ある社会実験の話。

芸術系学校のクラスを2グループに分けて試験をする。一方は「作品の質は問わない、数で評価する」他方は「作品は一点だけ提出のこと。質で評価する」とした結果、「数で評価」のグループは質的にも優れた作品が見られたが「質で評価」グループはそもそも質が低く未提出者も多かった。とのこと。

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2年前にXANADU〜桃園郷〜を書いてからしばらく曲を書けていない。そこでひとつ言い切り、書き切った感もあったし、引っ越して大きく環境が変わったことも相まって筆が止まった。

去年半ばくらいから、曲がどうも書けないな、と気になっていた。題材が思い浮かばない。曲はそれなりに思い浮かぶが、言葉が出てこない。

それに伴ってブログやSNSでの文章も、いまひとつ斬れの鈍った刃を無闇に振り回している気がしてならず、文章すらも書かなくなっていた。

書かなければ書かないほど、要らぬ考えが過る。だいたい曲も文も書いてどうなるのか、何のために書くのか、たいして売れもしてないのにどうしてここまで削って書かねばならないのか。

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2013,4年頃、毎週一曲書く、と自分に課している時期があった。実際に表に出せた曲は10曲前後だが、その頃書いた曲はHELENA the Butterfly, en el camino, salida eolica,ENTRADA、砂影の涙滴、proust、パンドラ、巡礼者、愛の雨、こいぬ座の子守歌、と、自他ともにかなり評価の高い曲が並んでいる。オリジナルのクオリティを大きく評価され始めたのもこの頃からだ。

ブログの文も、消してしまいたいような駄文も多いが、自分なりに上手く書けたなと思うものもこの頃には多い。まさに社会実験そのままの結果。駄作も多いかもしれないが、やはり、書かねばならないらしい。ピカソや北斎も年に何百枚と描いたそうだが、それだけ産んで孵して育てて時折その中に、金の鱗粉を携えた蝶が羽ばたくんだろう。

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去年の11月からうっすらと初めた筆ペン書道。今年の3月頃から初めたとある日課。どれも少しずつ、でも確実に結果は出ている。自分でも実証済み。やらねばな。

立ち止まると足は動かなくなる。動かないからますます止まる。そしてとうとう進めなくなる。

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人生は願望だ、意味じゃない、と言ったのはチャップリンだが、立ち止まると意味を考えてしまうんだろう。人生に別に意味は無いと分かったはずなんだけれど、そうやってまたぐるぐる考えるのもまた人生の楽しみなのか。なんなのか。

さて。そろそろ人生の休暇も一区切りってとこかね。まずは文章から復活。

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