スペイン旅行記その4~時の螺旋・過去から今へ~

強力に濃密な1日目の夜を終え、3/8(金)。

週末、そして、2日目のヘレス。
いよいよ、核心。
今日は、長いです(笑)
今回のヘレス行き最大の目的。
それは
鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコ舞踊団の公演を見ること、でした。

行くと決めたのは、実に公演の1カ月前。
ここに至るまでは、縁と縁がつながって、何か大きな力に導かれて進むような
不思議なエピソードがあります。

~~~
今回のFestival de Jerez 2013に、正式に招待されて公演を行われる
鍵田・佐藤舞踊団の【愛こそすべて】(スペイン語題名「¡AMOR,AMOR,AMOR!」)。

この、鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコ舞踊団は
2004年に外国人として初めて【FLAMENCO曽根崎心中】で招待されて出演され
今回が2回目の出場、とのことなのですが。
実はこのヘレスでの
【フラメンコ曽根崎心中】の公演の様子を、TVで見たこと
それこそが、
中学の時から憧れ続けたフラメンコのバイレ(踊り)を
始めるきっかけとなる公演だったのです。

そのTV番組はこちら、2004年4月に放映された
【フラメンコに宿る魔力 ~日本人100年目の奇跡~

深夜、ついていたTVから流れてきたフラメンコのリズム。
「ん・・・?フラメンコやん。何かの宣伝かな。」
と耳を傾けると
日本人で初めて、フラメンコ発祥の地、ヘレスの公演に招待された
舞踊団のドキュメント、というような内容のナレーションが。
日本人が?フラメンコ発祥の地で公演?しかも、曽根崎心中??
どういうこと、、、?と見始めたが最後
その内容に釘づけになりました。

曽根崎心中と言えば、元禄16年に実際に
大阪・お初天神で起こった心中事件を
近松門左衛門が世話物浄瑠璃に書いた傑作。
歌舞伎の演目にもよく取り上げられる、若い男女の心中の物語。
大阪で大学時代と社会人時代を過ごした私にとっては
曽根崎やお初天神にはなじみがありました。

それを、フラメンコで表現しようと、挑戦している人がいること
音楽を、阿木燿子さん・宇崎竜童さん夫妻が手掛けていること
その公演が認められ、本場ヘレスに招待されて上演するということ。。。

~・~・~・~・~
私は、何かが混ざって昇華されたもの、というのに惹かれる傾向にある。
音楽一つにしても
もろハードバップ、とか、ドFUNK、サルサ、ブルース、ロック!!という
一血的なものよりも
ラテンジャズであったり、Jazz-Funkであったり、フュージョンであったり
文化にしても
トルコのような、イスラムとアジアとヨーロッパがクロスする場所であったり
長崎のような、日本と西欧が混ざり合った独自の文化を発している土地だったり。

港町である神戸で生まれ育ったことにもよるのかもしれない。
中華街を持ち、インド系の人が真珠業に携わり
家の前には、カナダ人の家族が住んでいて
年の近い女の子が2人いたので、こちらは日本語、向こうは英語で
何を言っているかわからないのに、一緒に遊んだりしていた。

なので、日本の浄瑠璃演目である曽根崎心中を
フラメンコで表現しようとし
それが本場ヘレスの、世界最大のフラメンコフェスティバルに
招待される、という内容は、強く私をひきつけた。

・・・
初めてヘレスという場所で公演するために
音響や照明の人と打合せたり、という舞台裏から
実際の、伝統ある会場での公演、実際の会場の反響
何よりも、その公演の内容。
音楽は確かにフラメンコだが、歌詞は日本語で
着物をアレンジした衣装。

情念を秘め、手先指先まで細やかに神経を巡らせて感情を表現し
こぶしを回す歌に合わせて舞うのは
日本の民謡や日本舞踊とも共通するところがある。

・・・フラメンコやりたいと思っていたのに、今まで何をぐずぐずしていたのだろうか
やればいいやん、と
番組のエンドロールが流れ始めると同時に
近くに教室が無いか検索し始めた。

ちょうど、インターネットでの検索がそろそろ主流になるか、という頃だ。
近くに教室を見つけ、早速体験レッスンの問い合わせを送信する。
翌朝、すぐにお返事があった。

”今日もレッスンあるし、今週はずっとスケジュール通りやっているから
いつでも来てください。”
では今日行きます、とお返事して、お昼過ぎに体験レッスンを受け
先生の教え方や踊りも、合いそうだったので、即入会。
それが、今もバイレを習っている
吉良典城先生でもある。

当時は京都に住んでいて、毎週教室に通い
1年後は、発表会にも出させてもらった。
その後、神戸、大阪と引っ越す間に
先生のところには通えなくなり、しばらく教室ジプシーで転々とした。
が、綺麗な衣装を着て発表会、と言うのが目的の教室も多く
どちらかというと、バイレやフラメンコ音楽の根本を教えて欲しい自分とは合わなかったりで
ここ1,2年はフラメンコ自体をしばらく休んでいたが
去年の6月、弟子たちのゴスペルライブの衣装を決めていて
色合いの参考に、と、フラメンコの舞台の写真を検索しているうちに
そういえば先生どうしてるかな、と久しぶりにサイトを覗いたら
何と大阪で5月から教室を開講した、とのお知らせが。
すぐに連絡を取り、また再開。
今に至る。

~・~・~・~・~
前回の【フラメンコ曽根崎心中】の招待公演から、8年。
日本の同じ舞踊団が、2度も招待される、ということ自体、物凄いことだと思うのですが
鍵田さん・佐藤さんの舞踊団が今年また招待される、ということを知ったのは
フラメンコとつながっているとは、全く予想だにしていなかった、意外なところからでした。

~・~・~・~・~
1月の初め、誕生日の1月12日から3日間、 宮古島旅行に出かけた。
その初日・誕生日の夜。
地元の三線ライブのあるお店に行き
出演していた地元のミュージシャンと意気投合して飲んでいた時
ぽーんと携帯の画面にメッセージの表示が浮かぶ。

意外な人からの、誕生日おめでとうメッセージだった。

その時のテンションの上がり方は、同行したメンバー曰く
私があんなテンションがあがった所を見たのは初めてだ、と口を揃えたほど。
昨年初めて共演した、尊敬する音楽関係の先輩からだったのだが
誕生日おめでとう、また一緒に音楽やろうね、というそのメッセージは
それが例え社交辞令であったとしても
(というか社交辞令で送るような人では無いので、この表現自体かなり失礼になるのだが)
めちゃくちゃ嬉しかったのだけど

テンションがあがったのは、
そのメッセージが届いた正にその時
偶然、その方の話をしていたところだったのだ。
その人ともゆかりの深い人が、宮古島で音楽フェスティバルを主宰していて
それにめぐみさんも出てもらえたらいいのにーという話から
その主宰した人が前居たバンドの人とあたし去年共演したよ!
え、ほんとに?
と、いう会話の最中に、その本人からのメッセージが飛び込んできたのだ。

テンションがあがらないわけがない。
ちょうどその月末に、その人に会う機会もあったので
じゃあその時にまたお話させてください!とお返事して
その後、宮古島名物「おとーり」でさんざ泡盛でしこたま酔った頭で、宿に帰って
何度も、失礼な言葉を書いていないか、まともな文章だったか見直した。

・・・
そして1月末。
夏に大阪でやるライブの打合せを、あるミュージシャンとするため
その方も出演されているライブを見に東京へ行き
一度ぜひライブやってください、
いいよ、じゃあ春にやりましょうという話になり
帰阪してから、ライブのメンバーも決まり
宣伝用のフライヤーを作る、という段になって
その方のプロフィールを送っていただくようにお願いした。
それが、2月の最初。

そこからは、いつもの作業。
プロフィールと写真が数日後送られてきて
それをデザイナーに転送し、まずは叩き台があがってくるのを待つ。
どのようなご経歴なのか
自分でも一度しっかり読んでおこう、と、送られてきたファイルを開く。
・・・錚々たる経歴が並ぶ、長い文章を読むよりも先に
真ん中あたりに記述されていた、この一行が
スポットがあたったように、目に飛び込んできた。

==2004年 【フラメンコ曽根崎心中】公演でスペインのフラメンコフェスに参加==

!?!?!?
えっ???!!!!
思わず声が出た。
「ちょ、え、うそ、まじで!?」
その方がその公演に参加されていることを
全く知らなかった。

え、、、、じゃあ私TVで見てるんや。
Youtubeで動画を検索すると
舞踊団の公演に、確かにその方の名前と、演奏する姿が。
・・・・ほんまかいな、、、、何なのこれ。。。。
背中から全身が、ざわざわと、総毛立った。

そして、プロフィールを送っていただいたお礼のメールの最後に
おそらく普段なら、こんな余分なことは書かないのだが
あまりの偶然に
”実はフラメンコのバイレを7年くらいこっそり習っています”
と書いた。
一緒にやろうとしているライブには、何の関係も無い。
(とこの時は思っていた。
実はこれが大きく関係しているんだというのは
後に分かることになる)
そうすると、そのことに、ご本人から反応があった。
ご本人も、初めてのフラメンコが、鍵田さんだったらしい。

そして
「3月にもまた”愛こそすべて”っていう公演で、一緒にヘレスに行きます」
との一文が。

===
ヘレス。フラメンコの発祥の地に
また、鍵田さん&佐藤さんの舞踊団が行くんだ。。。。
そして、そこでは、翌月自分が一緒にライブをしようとしている人が、演奏する。。。
調べてみると、曽根崎心中以来8年ぶりに招待された、ということが分かった。
まさかこんなところで
自分の本業である音楽と、趣味で続けてきたフラメンコがつながるとは。

しかも、フラメンコを始めたきっかけの公演で、その人が叩いていた、という縁で。
中学時代、フラメンコ、というものを知ってからずっと憧れ
それをきっかけに趣味で長く続けてきたこと、
スペイン、アンダルシア、そしてバルセロナ・サグラダファミリアへの憧憬
もっとさかのぼれば、
3歳で始めたピアノ、中学でやり始めたトロンボーン、吹奏楽に没頭した高校時代
阪神大震災、自身の歌、これまでやってきた、音楽の道
遠く点在していた自身の経歴、仕事、趣味、思考。。。

それが、”フラメンコ”という光媒で結わえられ
過去から今へと、時間が螺旋階段のようにつながっていく。

この時点で、自分の気持ちは、ほぼこの公演を見に行くことに
傾いていたと言っていい。
何かが大きく、動き始めている気がした。

が、何より決定づけたのはその後
今ちょうど大阪の松竹座
佐藤さんがGOEMONっていう歌舞伎で出演しているから
見に行って会っておいで、という流れになったこと。

東京拠点のフラメンコ舞踊団の代表の方が
大阪での歌舞伎のロングラン公演に出演している、ということ自体が
かなり稀有なこと。。。
連絡をもらった翌日とその翌々日だけが
公演期間中、自分のスケジュールが開いていた。

明日なら行けます、と連絡すると
じゃあ連絡しとくから行っておいで、と。
===
二月花形歌舞伎・GOEMON

天下の大泥棒・石川五右衛門。
謎の多い五右衛門は、色々な設定で描かれるが
今回は、彼はスペイン人宣教師と武士の娘との間に生まれたハーフだったという設定。
キリスト教禁止令が出され、父は国外追放、
母は将軍秀吉に召され、運命と時代に家族は引き裂かれる。

その後、自分の筋を通し、生き抜くために大泥棒となったGOEMONが
それまでの踊りではなく、何か新しい踊りを、と悩んでいた出雲の阿国に
父から教わったフラメンコを教え
それを元に新しい踊りを創りだした阿国は大成功
GOEMON自身は、日本を捨て
父の居るスペインへ旅立つ、という物語。

===
ものすごい公演だった。
終わった後、血が逆流してる気がした。
ずっと考えてた色々なことが符合して
すっと、風穴があいた感じがした。
歌舞伎とフラメンコの
見事なまでの融合。
そのエンターテイメント性。
圧倒的スケールの世界観。。

そして、片岡愛之助氏の、全身から噴き出すような”上方の芸”。
印象に残ったのは、五右衛門が、阿国にフラメンコを教え
阿国が練習を重ね、自分のものにしていく場面。
新しいものを取りこみ、自分のものにするには、時間がかかる。
この歌舞伎にフラメンコを取りこんだ時の過程が
見えるようだった。

2階席の自分の頭上を最後、
五右衛門が、母の化身である鷹に乗って
「この日の本を離れ、父の待つイスパニアに旅立つのだ~!
ぶわははははははは!!!」という大団円。

昨日つながった、自分の音楽とフラメンコ。
そして、今日、この舞台を見ている自分。
もはや、ヘレスへ行け、と言われているようにしか、聞こえなかった。
もうひとつ驚いたのは、この公演に阿国が取りあげられていたこと。

年末、長年の絶縁から和解を見た、実母の郷は、出雲大社のすぐ近くなのだ。
おそろしいほどに、一つ一つが、符号を合わせるように、ぴたりぴたりと
はまりこんでいく。

===
終演後、出演されていた佐藤さんにご挨拶に行く。
ああ、曽根崎心中に出ていた人だ、と
不思議な気持ちになる。
その時には、この公演を紹介してくれた方を通して
ヘレス行きますので、と伝えてもらっていたのだが
「来てくれてありがとう!
ていうか、ヘレスに来るって聞いたんだけど!?!?」
「はい行きます!」
「昨日の今日で、、、物凄い行動力ですね。。。。。!
じゃあ、ヘレスで!」

===
鍵田真由美・佐藤浩希の両氏といえば、日本フラメンコ界のトップスターであり
私も、鍵田さんの教則ビデオを何本か持っている。

Newsweek日本版の「世界が尊敬する日本人100人」にも選ばれた人であり
違う文化との融合にたくさん挑戦されている方、というイメージで
もともと日本人でありながら、異文化であるフラメンコを身につけ
さらにそれを、日本や別の文化と融合させるという難しい仕事に
精力的に取り組み、そして成功させている、という意味で
知り合う前から尊敬しているカップルだった(お二人はプライベートでもパートナー)。

先にも書いたように、”異質のものが混ざり、昇華されたもの”に惹かれる自分にとって
最たる人々だったとも言える。
そんな人々が、本場ヘレスで公演するのを
ご本人も承知の上で見に行く。
これほどの機会がどこにあろうか。
逆に言えば
これ以外の機会が、いつあろうか。

~・~・~・~・~
フラメンコを習っています、とその方に話してから
ここまでの間、わずか、2日。
件の公演までは、1カ月。
公演の日と、その翌日は、ライブは入っていなかったが
他に予定はあるが
そんなことは気にしていられない。
まずは飛行機を探す。

春の旅行シーズンの折り
1カ月前ともなると、多くが埋まっていて、探すのに2日かかった。
探し回った結果、関空~ドバイ経由でバルセロナに到着する便が
1席だけ空いたのを探し当てる。

それから宿を取り、手帳に、この日からこの日までヘレス、と書きこむ。
と、いくつかの予定がダブルブッキングすることになる。
そうしてから、自分の予定を、全てこじあけた。
前半の予定は前倒し、後半の予定は後ろへ。
この前倒しのおかげで2月の残りのスケジュールは
とんでもないことになったが
とりあえず飛行機に乗るところまでこぎつければ
あとは何とかなる。

ミュージシャンの地獄、確定申告を徹夜続きで仕上げ
飛行機に飛び乗った。

~・~・~・~・~
この日、ヘレス2日目の朝。
雨がちだった空も、例に寄って、私が外へ出ると止む、が続いていました。

舞踊団の、通しのリハーサルがある、とのことで
リハーサルスタジオまで連れていっていただきました。

こういう路地を歩くだけで、今スペインに居るんだなあ、という気分が
高まってきます。

スタジオでは、もう細かい練習が始まっていました。
鍵田さんのお姿ももちろんあり、ご挨拶を。
本番の衣装でのリハーサルを見て
「わ、鍵田さんだ。動いてる。。。。。」
こういう時、人間の反応ってだいたい同じなんでしょうかね。
自分が知っている、有名な人を見た時の反応。

「では今から通しを始めます、よろしくお願いします」との声に
拍手とともに、いい緊張が走ります。
そして、ここに、真っ赤な衣装で並んでおられたのが
昨日、ファルキートの公演の後、一緒にご飯を食べましょう、と
誘ってくださったメンバー。

全員が、舞踊団の踊り手さんでした。
どなたも、ものすごいクオリティの高い踊り。
先に一緒に飲んでお友達になってて良かった、、、
飲んでなかったら恐れ多くて近づけません!(笑)

途中修正を加えながらのリハーサル。
見せてもらえるだけでも貴重。。。
自分自身も、舞台人として
リハーサルを見る、というのはとてもいい機会で
あっという間に、時間は過ぎていきました。

リハ後、みんなでこの後ご飯に行くから、ご一緒にぜひ、と
誘っていただき、それまで2時間ほど時間が。
街をうろうろして買い物でもしようか、などと考えていると
私の前に、リハーサル中、ずっと写真を撮っていた日本人女性が居られたので
話してみると、今はスペイン・トレドに住んでいて、今回は取材で
この公演の記事を書くために来た、とのこと。

写真を見せて頂いていると
「この後どうするの?ご飯一緒に皆さんと行かれますよね?
それまで時間あるけど、お茶でも行かない?」と誘ってくださったので
ご一緒することに。
お茶、といっても、この時間からならもう、シェリー解禁。

このバーが凄かった。。。。
後で詳しい人に聞くと、ヘレスの中でも、なかなか濃いバーだったらしく
地元の方が昼間からシェリーと生ハムで大声で話しているような
観光のためでは決してない、地元のバー。
トレドが長いという記者の女性は、スペイン語も堪能で
しかも南部なまりで早く、何を言っているのか全く聞き取れない。

ささっと飲み物と、つまむものを注文すると
近くに居た地元のおじさまが話しかけてきます。
日本から来たの?君も踊れる?
じゃあ一緒に歌って踊ろうか、はい、上着なんか脱いで!!!
突然始まるパルマと歌。
プロでは無い、地の人の、ヘレスのブレリア。

市場で買い物の途中でちょっと寄ったおばさま。
手前のビニール袋にはにんにくと野菜が。
あたしは歌が好きなんだよ
別にプロじゃないけどね、と言いながら、歌い始めると
乾いた、哀愁を帯びた声、陽気に打ち鳴らされる手拍子と足。
ギターも無い、歌と手拍子だけだけども
みんながそれで、楽しんで、それで踊る、踊る、踊る。。。。

踊れるんだったらお前も踊れ、と私も一節踊らされた・・・。
その昔、いきなりセッションに放りこまれた時のことを思い出しました。
その後、先ほどリハを見せていただいた舞踊団の方と一緒に
中華をご一緒してから
また夜に、別のフラメンコ公演を見に行く段取りを付けて
街をうろうろ。
舞踊団の公演会場・Sala Compania。
美しい外観のホール。

中心街の広場の一つ、アレナル広場。
前に並んでいる客席みたいなのは、4月に開催される
SEMANA SANTAの行列を見るためのもの。
物凄い人出になるそうです。それもまた見てみたいものの一つ。

楽器屋さんも。
やはりギターが多い。

Festival de Jerezの旗。
通りにずっと掲げられていて
鮮やかな赤の旗と、石畳と、建物とのコントラストがとても美しかった。

この間に、ストール2枚とニットのワンピース2枚を購入。
そう、服を捨ててきたから、明日から着るものが無かった(笑)
一旦荷物を置きに帰り、
ホールの前で、昼間出会った女性と、今回の旅のきっかけの方と待ち合わせて
中に入る、と
何と、チケット売り切れ。。。。
あらまあ。
残念。。。
まあ、いいか。
では、飲みますか(^0^)
と、なり、近くにあった立ち飲みバルへ。

さて、さんざ引っ張ってきましたが
今回の、あっという間のヘレス行きを決めるきっかけになる2日間を生んだ
旅のきっかけ人になったのは、この方。

昨年3月と8月
中路英明OBATALA SEGUNDOで共演して知り合った
日本を代表するパーカッショニスト、大儀見元さん、その人。

鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコ舞踊団の
【フラメンコ曽根崎心中】
【愛こそすべて】で、パーカッションを担当。
まさかこんな展開になるとは
1月末に、ライブご一緒してくださいとお願いした時点では、、、
いや、、、昨年のちょうど今頃。。。。
!正に、ちょうど、今日!!!3/29でした!
OBATALA SEGUNDOと、初共演した日。
その時に、こんなことが訪れるとは、
全く想像もし得ませんでした。

そもそも、このOBATALAとの共演自体にも
長いストーリーがあるのです。
それは、この日の日記をご参照ください。
【諦めなければ夢はいつか】

そこからほんの1カ月ほどで
こうして、ヘレスで共に、シェリーで乾杯する。。。

波乱が過ぎて、もうどこから話したらオチがつくのかわからないような人生ですが
人生
悪くないですね。

さあ、明日3/9(土)はいよいよ、Hiro y Mami=鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコ舞踊団の
ヘレス公演。
飲んで外に出ると
明日の会場が、静かに、その時を待っていました。
IMG_0311.JPG

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