師弟

音楽の個人レッスンを開講して8年目。数回で辞めてしまう方もいれば、何年も通ってくれる生徒さんもいる。そして、私のレッスンの仕方はおそらく、一般的な音楽教室や、個人教室とは、かなり異なっていると思う。
テキストは一切使わない。古くからある”師弟制”に近いものがあると思う。
その人の生活スタイル、体調、食事、仕事、今何を考えて、何に興味を持って、何に悩んでいるか、心の奥まで入り込むやり方なので、表面的な技術であったり、発声法や、音楽理論のみを私に求める人には、私のレッスンは全く向いていない。そういう人は、自分が教えて欲しいものとあまりに違うことに嫌気がさして、さっさと辞める人も居る。
レッスン、というものは、ある一つの山の頂上に登るのに、どの方法がその人に適しているかを探すだけの話であって、歩いて登りたければ登山家に聴けばいい。バイクで登りたい人が登山家に聴いても、意味をなさない。ただ、それだけのことだと私は思っている。
正直、ほとんど話だけで終わることもあるし、生徒さん自身も、最初からしゃべりに来ている、ということもある。
そして、手取り足取り教えるタイプでは無いので、最初のレッスンで面食らう人もいる。
例えば、初めて来た生徒さんには、まず1回、何かを歌ってもらう。それを聴いて、アドバイスするのは1点だけ。そのことに気をつけて歌ってもらう。
で、「どうだった?」と聞く。
面食らうのは大概ココだ。「え???ど、どうだった??とは?」と聞き返してくる人も居る。
普通、アドバイスを受けて、もう一度歌ったら、今のはこうだったから次はこうして、という解説をもらえると思うのだろう。でも、私はそこは言わない。本人が気付かなかったら、もう一度、同じことに気をつけて、と言って、もう一度歌ってもらう。何も気付かなければ、さらにもう一度。
もちろん、何の変化もしていなければ、アドバイスをやり直すのだけど。何か変化していれば、その変化に自分で気付くまで、何度もTRYしてもらう。
・・・
自分が、何か指摘されたり、改善した結果の変化を、他人に教えてもらっても、結局は何にも身に付かない。自分で、自分自身がどのように変化したのかを感じ取る力がまず必要だ。
そして、自分が変化したのを感じ取る力を身につけられれば、観察眼が出来、ある物に対する分析力がついている。そうすれば、自分が参考にしたい何かを見れば、なぜそうなっているかを分析することが出来るし、それを実践して、自身がどう変化したかも分かる。
教育、とは、答えを教えるのではなく、どうしたら答えにたどり着けるか、という方法論を、”自分で”見つける力を付けさせること、その力を、どうやったら身につけられるかを、共に考えることだ。今回は一発でたどり着けても、次はそうとは限らない。
その時に、何度も違う方法を試したり、乗り越えたりする気力。それこそが、何かを習得するときに、もっとも必要なことだ。
よく「やれば出来る」という言葉が使われるが、確かにそうだ。「やれば」出来る。
問題は「やれるかどうか」ということだ。そもそも「やれない」から出来ないんであって、確かにやれれば出来る。
その、やれる力を身につけさせること。私はいつもそのことを考えて、レッスンしている。
そういう意味では非常に冷たい。ことさらに何かを、教える訳では無い。
私は生徒たちに常々、「先生」と呼ぶな、と言っているが、それでも生徒達は勝手に私のことをなぜか、師匠、師匠と呼んでくれる。
先日ある生徒のレッスンで、歌っているときの視線の向け方について、一つだけアドバイスして歌わせたら、突然、まるで私みたいな声が出た人がいた。彼女からそんな声が出るのは聴いたことが無かったし、こう歌え、と言ったわけではないのに。
何かが彼女に伝わったのなら、それでいい。
なぜだろう。ふと、嬉しくて、涙がこぼれそうになった。
【師匠】という響きも
悪くないものなんだな。。。

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