桃の節句とアルドール縮合
昨年末あたりから、アナログで日記をつけ始めたのですが
アナログに書いてしまうと
もうネットに書くことがあんまり無いのです笑
が、たまにはね。最近よくしゃべる香雪さんのお写真でも載せつつ。
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2月は、最初の週末がビッグバンド、そのあとすぐフラメンコ
そして久々に開催した、自分の教室の発表会
発表会翌日から、これまた久々の参戦となる吹奏楽、と
その次の週末は、これまたこれまた久しぶりの
大学の研究室の同窓会、と
あまりにボリュームがありすぎたため
ここんとこ、口からずっとエクトプラズム出したまま呆けていて
気付くと3月ももう3日め、今日は桃の節句。
この2週間は、充電と言うより完全に休息。
フラメンコの新しい課題にそろそろ取り掛かるのだが
頂いた宿題がとっても好きなDVDに入っている曲だったので
そればっかり見ている。
カルロス・サウラの【フラメンコ】
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この休息中に、ここ何年かで最も驚いたことがあった。
あるイベントに出演するのに組んだメンバー。
イベントの時だけの適当なバンド名が要るということで
なんぞ化学反応の名前でも付けてやろうかと思い
ふと、アルドール縮合、というのを思い出したので
英名を確認するためアルドール縮合のWikipediaを引いたところ
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『ダッタン人の踊り』で有名な歌劇『イーゴリ公』を作曲した
アレクサンドル・ボロディンが最初に発見したと考えられている。(Wikipediaより引用)
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・・・・・・・・・・・(; ゚ ロ゚)! ( ; ロ゚)゚ !! ( ; ロ)゚ ゚!!!
はぁあああああああ?!?!?!
と、一人で家で見ていて、本当に声が出た。
そのあと、ボロディンの項を見るにつけ
・・・本当に驚くことがあると、人間、リアルに”開いた口がふさがらない”のだと初めて知った。
アルドール縮合は、重要な化学反応として有機合成を修めたものなら必ず知る反応。
他ならぬ自分も。実際この反応には世話になった。
そしてこのボロディンの”ダッタン人の踊り”を、今年、久しぶりの吹奏楽で演奏する。
この驚きを誰かに伝えたかったが、いかんせんアルドール縮合とボロディンの両方が分かる人でないと驚きが伝わらない。かなり悶々としたがうまい具合に、一緒にその吹奏楽で演奏する後輩に、合成をやってるのが居たのを思い出し即メール。
驚愕しています!
と返事が来た。
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ロシア5人組
=バラキレフ、キューイ、ムソルグスキー、ボロディン、そしてクラシックの作曲家で最も好きな
リムスキー・コルサコフ。
この5人組の一人であるボロディンが
『作曲家としてその道に秀でていたにもかかわらず、いつも化学者として収入を得ており、化学の世界においては、とりわけアルデヒドに関する研究によって、非常に尊敬されていた。
結果的に「日曜作曲家」を自称』(Wikipediaより)
していたとは、、、、もう何と言っていいのかわからない。
タイムマシンがもし実現したら、まず最初に彼のところに行って話を聞いてみたい。
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自分は自分のために生きて
人は人のために生きて
ただそれだけだ。
横やりを入れてくる人がいても
その人はその人自身のためにこちらに横やりを入れているだけであって
こちらのために何かしてくれているわけでは無い。
航路の舵を切るのは結局自分で
横やりが入ろうが、誰かに助言を乞うて思案しようが
こうやってこう、と自身のタイミングで自身の思う方に切れば
そうなっていく。
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ふと、谷間のような時間が訪れた時
それはだいたい、舵を切るタイミングに来ている。
全力のまま大きく曲がることはできない。
そこで減速を恐れず、しっかりスピード落として舵を切るか
横目に見つつも、そのまま進むか
速度を落とさず真っ直ぐ行くか
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本当にやりたいことは
実は最初から分かっているのかもしれない。
それすら自分でも気づいていなかったり
気付いていても飛び込む勇気が無かったり
チャンスが見いだせなかったり
どうしていいかわからなかったり
気付いた時にはすでに遅かったり
そうやってどれだけの夢や希望が
自分にも人にも気付かれないまま消え去っていくのだろう。
本当に望んでいる自分なんて自分ですら分かっていない。
なりたいものが無い、とか
やりたいことが分からない、なんて
割と当たり前のこと。
昨今のポジティブブームは、夢や希望に安直に頼り過ぎだ。
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ふとそれを、これ好きなヤツでしょ?と見せられて初めて気づくことがある。
ワンコなんて、ほんと素直なもんだよ。。。
”すきすきすきーーーーー!”
こんな風に居りたいわ。