玉鬘

人生後半戦。横浜生活ももう6年目。おそらくここが人生で一番長くなる土地なんだろう。神奈川というところは適当に都会で適当に田舎、あまり人に干渉しない割には人懐こい人々。なんとなくやっぱりどこか神戸っぽい。港町ってどこもこんな感じなのかな。

若いということは自分の時間を自分でどうにか自由に出来るということであり、何か志を持てばそれを同じくした人々が集まりやすく、またその人数も多く、夜な夜な集まったり、何か集うチャンスを作れば語ったり議論したり白熱したり何かに向かって走り出したり出来る。

少しずつ歳を重ねてくると、同じ志だった人が少し違う方を向き始める。また、自分も変わっていく。

歳を重ねれば重ねるほど、前は同じ場所にいた友人たちの生き方も多様化し、さらにこの一年のような、自分一人ではどうしようもない社会情勢の運命の渦中に立たされると、さらに道は分かれ、いよいよ、”自分で”生きる道を見出さなければ戦えなくなる。

この数年、それをとても感じる。年齢を重ねたプロのアスリートが体調管理や日常に非常にシビアになってくるのが何故なのか、自分も年齢が入ってきて、つくづく実感するようになってきた。

学生から社会人数年目までつまり20代前半あたりまでは、それほど自分と人との環境は大きくは違わない。30代、40代、そして50代と進むにつれて誰一人同じではなくなり、悩み方も大きく変わってきて、相談できる相手も減ってくる。ゆえに、みんなあれだよねあんまり違わないよね?同じだよね?って確認したくなる。

最近流行っているというclubhouseだが、たまーに覗いてもだいたい常駐しているのは中年層であり、Facebookと似たような世代がそこに居るが、その層に流行るのはめちゃくちゃ納得できる。

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友人の数人に、プロ主婦とでも呼びたいような、家庭生活のプロフェッショナルが居る。(家庭生活のプロとしてそれで食べてるとかいう意味では無い。)その暮らしぶりは本当に素晴らしく、整えられた家、手作りのご飯、暮らし方。

一度その一人のお宅に泊まらせていただいたことがある。朝少し出かけるからね、起きたらいないけど、と言われていて、目覚めてリビングに行くと、手書きのメモの添えられた食事が置いてあった。

丁寧に炊かれたご飯のおにぎり、だし巻きと、いくつかのおかず。どれも、おそらく手早くだけど、でも慣れた丁寧さで作られた朝食で、涙が出そうなほど感激した。こんな暮らし方をしてる人がいるのか。

そういう生き方はとても、かっこいいな、と、最近思う。表向きの見た目や表出した活動がどれだけかっこよくても、日常生活がいい加減な人に、本当に素敵な人は居ない。

日常生活がちゃんとしている人は、考え方の細かいところに、ひとつひとつ、美学がある。そういうのは若い時には分からないし、現れない。日々一刻歳を重ねて、現れてくるもの。だから年齢は、こわい。

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自分自身ではどうしようもないことは、これからも起こる。そのなかで、自分の足で立つこと。それこそが、生きる力、なのでは。

源氏物語に出てくる玉鬘、という女性が、そんな感じ。なんかかっこいいんだよなぁ。

果実酒漬けて飲み切ったあとの残りの伊予柑を、レモンカードの作り方を参考に伊予柑カードに。爽やかなのができた🍊

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