降り積もる時間

昨日の朝。
珍しく、大手メディアで非常に響く文章に出会った。
この時流の中、この一連の文章を載せたことは
大きいと思う。

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使い慣れた言い回しにも嘘がある。
時は流れる、という。
流れない「時」もある。
雪のように降り積もる。

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死者・不明者は約2万人…と書きかけて、ためらう。
命に「約」や端数があるはずもない。

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いまなお「あの」ではなく
「この」震災であることが悔しく、恥ずかしい

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口にするのも文字にするのも、気の滅入る言葉がある。
「絆」である。
その心は尊くとも、昔の流行歌ではないが、言葉にすれば嘘に染まる。
羞恥心を覚えることなく「絆」を語るには、相当に丈夫な神経が要る

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人は優しくなったか。賢くなったか。
雪下ろしをしないと屋根がもたないように
降り積もった時間の“時下ろし”をしなければ
日本という国がもたない。

ひたすら被災地のことだけを考えて
ほかのすべてが脳裏から消えた1年前のあの夜に
一人ひとりが立ち返る以外
時計の針を前に進めるすべはあるまい。
この1年に流した一生分の涙をぬぐうのに疲れて
スコップを握る手は重くとも。
読売新聞・3月11日付 編集手帳

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そして今朝。
宮城出身の、最近知り合った友人から教えていただいた東北の新聞、河北新報
生きることに希望が持てない、仮設で死にたいと話す人の談話なども
もらさず書いている、と聞いてから
河北新報のサイトを日々覗くようになったのだが
今日の河北新報。

東日本大震災で亡くなった、当日から今年の3月9日までに分かっている
犠牲者15,854名の全ての方のお名前を
紙面6面を使って掲載されたそうだ。

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昨日の読売新聞も、
編集手帳をトップ記事の場所に、紙面の半分を使って掲載するという
異例の扱いで
「約」2万人じゃない、端数などない、と記してあったが
15,800余名でも、15,000人強でも、約20000人、でもない。
まだこの数に含まれていない、行方の分からないまま方もいる。

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降り積もる時間を撥ね退け、それを力に変えていける人もいる。
その光の影で
降り積もる時間に抗う術も気力もなく
ただ押しつぶされそうに、押しつぶされるままに
なっている人もいる。
大きなまとまった数字に目を向けなければ
進まないことも確かに存るけれど
そうした ”約” で隠された小さな場所に
目を向けていたい。

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