迦陵頻伽

“迦陵頻伽”

かりょうびんが
 

殻の中にいるときから美しい声で鳴くとされる、仏教における想像上の生物。

美声の芸者や花魁を指してこの名で呼ぶこともある。

 
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踊っていること、歌っていること、弾いていること、が、その人にとって自然なことになるまでには、どれほどの時間がかかるんだろう。

 
あるいは迦陵頻伽のように、最初からそのように生まれ落ちるのか。
 
先週のアルテイソレラ舞踊団の公演、そして昨日の石川慶子さんの公演、どちらも劇場でのフラメンコ。
 
舞台で踊ることが、その人たちの普通。ご本人たちがどう言う気持ちで日々踊りに取り組み、どうやって暮らしておられるのかは、どれほど話し込んだとしても本当のことは知り得ない。が、踊りのために生きてるとか、踊らなきゃ生きてけないとか、生きるために踊るとかいった、そういう肩にリキの入った感じではなく、踊りが体から湧いてきて、そうならざるを得ない踊りや歌を演られた時、見ている方は、それが例えば初フラメンコ鑑賞だったとしても、息をするのも忘れる。
 
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ピアノに張り付くように弾く人がいる。ギターが体に最初から装備されて生まれてきたんやないかという人がいる。千手観音みたいなドラマーとかもいるけどそういう人はきっと、最初から千手観音の要素がある。
 
何やねん結局才能かいな。と言いたくなるけど、その通りだ。生まれついたものを選ぶ、というのは才能。何に生まれついたのかは、親ですら分からない。一つの人もいれば、複数の人もいる。
 
自分が何に生まれついたのかを、生きてきてあれこれ失敗したり選び損なったり、一回捨てた後でしもた、やっぱアレやったやん!て拾いに行ったらもう燃やされたあとでまた一から立て直したり、そうした生の道中で己を知りその道に足を踏み入れ、そこに腰を下ろす。
 
覚悟、ということなのかね。
 
尊かった。
 
得難い経験をさせて頂きました。
 
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つい最近、ふと歌を生業として以降の手帳を全部取り出して、やってきたライブを数えた。1,000本を余裕で超えてた。ほぼ全てが、自分のリーダーのライブ。
 
こうやって曲を自分で書いて
言葉を絞り出して
自分で弾いて
自分で歌ってきて幾星霜。
 
やってきて良かった。です。
 
ありがとうございました。
 
 

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