鏡像体

鏡像体=光学異性体とは、右手と左手のように、それぞれのものの構成(親指〜小指まで指が5本とか手のひらがあるとか)は同じだけど、立体配置が鏡像の関係にあって、それそのもの同士は重ね合わせられないもののこと。

大学〜大学院時代の専門がこの光学異性体に関する有機合成だった。特に薬品では光学異性体の片方しか効かないことが往々にしてある。それまでは両方作って右と左に分けていたのだが、2001年にノーベル化学賞を受賞した野依教授がBINAP系の不斉配位子を開発したことで右か左の片方だけを選択的に合成できるようになり、その後不斉配位子の合成は当時の有機合成界の流行りだった。この光学異性を最初に習った時、リモネンはD体がオレンジの香り、L体が森の香り、と性質も違うと教えられ、右と左が違うだけでそんなにも違うものなのかと感動した。

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20代の頃正社員で勤めていた会社は、当時誰に言ってもあら良い会社にお勤めね、と言われる会社だった。というか今でも、そこに居たというと何で辞めたのと笑われることも多い。辞める時は同期たちに、何でやめるんだ、やめて何するんだと半ば呆れられ、そのうちの一人には、音楽で飯を食うって何だよ、そもそも飯を食うって何なんだよ、と送別会でかなり突っかかられた。この突っかかってきた同期は数年前にくも膜下で倒れて突然死んだ。亡くなったと聞かされた時、あの時ものすごく突っかかられたことを、彼は”飯を食う”ということに何か強いこだわりがあったのかな、と思い出した。

会社を辞め、音楽だけで”食って”いた20代後半からの10年間。その後今のダブルワークに変わったのには実は大きなきっかけがあった。大学院時代の同期と後輩は、私の代がその研究室の一期生ということもあり、先生や同期たちと一緒に手作りで、研究室になる部屋を、前の教授が残した棚や実験台を掃除し(当時なのでかなりアブナイ薬品も残っていたりした)新たに器具を運び入れ、実験のためのガラス器具をもらいに他の大学まで車で行ったりしてまさにゼロから作り上げたこともあり、卒業しても仲がよくて時々集まっていた。新しく家を建てた後輩の家に祝いがてら集まったある時、ふと今の専門の話になった。同期や後輩たちは当然ながら化学の専門職についていて、最先端の技術バナシに花が咲き、もちろんそれぞれの社の情報漏洩には入らない範疇で、最新の話題を語り合っていた。

その話題に、全く、ついていけない。

学生の時は同じ位置に立ってああでもないこうでもない、と当時の技術論文を和訳しては議論していたのに、自分の頭の中は錆が固まったように動かない。錆の下の方に古い記憶が凝り固まっていて、ああ、あそこにあるのに、もう手が届かないというような、とてももどかしい気持ちになったと同時に

これではダメだ

と思った。

辞める時に会社の同期が突っかかってきたように、音楽だけで確かに「食って」は居る。でも、ずっとこのままで本当にいいのか。このまま、あれだけ好きでやり込んだ化学の感覚がどんどん錆びついて、そういえばそんなことに夢中になったこともあったよな、と遠い記憶の土の下に埋め込んでしまうので、お前は本当にいいのか。

そもそも、音楽と化学、片方だけしかやっちゃだめ、なんていう法律がどこにあるんだ?と自問自答がそこから始まった。その後数年かけて、食うためだけの音楽は手を離し、音楽は自分が本当にやりたいと思うものに集中して、まずは化学の現場に戻ることから始めた。その時も批判があった。もう音楽を辞めるのかとも。何かそれまでの習慣を変える時に、だいたい批判がある。よくあることだ。

化学の現場に戻り、音楽と化学を両方やるようになって9年。よく、二足のわらじですね、と言われるが、自分の中ではこの「鏡像体」だという感覚。

音楽が右、化学は左。どちらかが欠けても、どちらかが大きくなっても、どうもバランスが悪くなるらしい。

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今年になってよく、この先の人生のことを考える。人生後半戦に入ったなあ、という感覚が今年は強く、音楽、化学といった他に、自分はこの先どうやって生きたいのか、やり残していることはないか、ごまかしていることは無いか、また自問自答。

先週、久しぶりに国内を旅行した。ツアーではなく、音楽とは関係ない、ただのシンプルな旅。この音楽仕事をしているとつい、ギョーカイ用語でビータと言われる旅仕事と旅が混ざりがちだが、ツアーと旅とは全然違う。

”旅”が好きだったということを、ちょっと久しぶりに思い出した。半分働いて半分旅が理想っていうのは今もあんまり変わっていない。

また旅行したいな。行きたい場所と国でもまた書き出してみるか。

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