5、25、50

今年の頭に生誕半世紀を迎え、50代としての1年目をさぁどう過ごそうと思っていたらこのコロナ禍。

四半世紀を迎えた25年前は、誕生日の5日後に阪神大震災に遭った。当時はインターネットも普及してなければ携帯も無い時代。もっと言えば生まれた頃は写真すら白黒だったわけで、25年という歳月の単位の大きさを感じる。

この1年は、これまでのどの1年とも違う1年だった。

大阪でレッスンをしていた時、当時ちょうど今の私の歳になられたミセスの生徒さんがいらっしゃって
その方が50になられた時

ここまでは必死で登ってきたって感じなんですよ。
でも、なんだかここからは、下っていくんだなって。坂を降りていくっていうか。
そんな感じがしてるんです。登ってきた景色を見ながら。
さわやかな、とってもいい気分ですよ。

っておっしゃったので、

ええーまだまだこれからじゃないですか
50なんて若いですよ!!!

って言うと

あ、いやいや、そういう意味じゃ無いんですよ
先生もその歳になられたらきっと分かりますよ☺️

って答えられたのを何故かずっと覚えていたのだけど

その意味がほんとによくわかる。下っていく。

この感覚は、5年前には、全く分からなかった。

生物学的な女性としての機能に終わりを迎え、元々望んでない人生だったが
ここから先何かの弾みで望むような考えになったとしても、もう自分の血を分けた子供を持つことは出来ない。

5年前なら、望めば、可能性はあった。望んで持てるものではないけども。

いわゆる更年期障害は、ホットフラッシュ=やたら汗をかく症状以外はそれほど重くなく
鬱になったりするようなことも無かったが
動物としての機能の終わりのせいなのか、いつか必ず来る最期の日のことを、より肌で感じるようになった。

今年の頭からスマホのアプリで日々の睡眠時間や体温、体重などを日々記録するようにしてるのだが
ずっと家にいて目覚ましなんてかけないこの1年でも、平均睡眠時間は5.5〜6時間。
元々やはり、ショートスリーパー的な体質らしい。

体力的なものや食べる量や飲む量は30代の頃からさほど変わらず、今でも揚げ物炭水化物肉礼賛。
さらに今年は10月から、とある体質の問題改善についに本腰を入れて、結果
40年間ずうううううううーーーーーっと

ずううううううううっと

悩みに悩み続け、あれもやりこれもやり、病院にも行き街の民間療法的なやつにも行き
薬もあれもこれもそれも試してもう出来ることは全部やった、と諦めていた問題を2ヶ月かけてとうとう克服し!
(未だに信じられない笑)、体は健康そのもの。

そして今月はひたすら断捨離。100着、いや、もっとかな、、、衣装もほとんど総替えする勢いで捨ててクローゼットはすっきり、最近新たに買った服やメイク道具で朝いそいそと身支度をするのが楽しみな日々だが、(別にどこにも出かけないのに笑)

それも、”その日”がいつ来てもいいように、日々しっかりと地に足をつけて暮らそう
その日その時がどこで突然訪れても後悔しないように、ちゃんと身綺麗にして、身辺を日々整えて暮らそうという気持ちの変化から来ている。

華々しく全国を、いや、世界中を飛び回ることに憧れていた。
2009年にニューヨークに行った時は、街が気に入ったら完全に移住してやろうという下見のつもりだった。
スペインへ遊びに行ったのもそうだった。日本中を、そして日本をも飛び出して活躍してみたいって望んでた。

が、海外へ行けば行くほど、ここじゃないなあと思う気持ち
日本で暮らして日本に居たいっていう気持ちは強くなり
外で活動すればするほど、家に居たい、ほんとは家にずっといたい、っていう気持ちが強くなってきていた。

自身の欲や願望と、自身の本質とが同じかどうかは、欲や願望を追いかけて行く中で少しずつ見えてくる。そこにズレがある時、本質側にすっとシフトするのか、いや、そんなはずはないって目を背けて願望に執心するのか、それもその人のやり方でどちらがいいとか悪いとかでは無い。

自分の場合は、日々ちゃんと暮らしたい、っていう本質だったようで、それがこのコロナ禍で最初は徐々に、そしてそれが長引いてきた秋頃から一気に噴出してきた。

5年前、もう自分はこれは一生独身だな、ときっぱり心を決め、それならば本当に自分が好きなように生きよう、一度首都圏に住んでみるのもいいよなって思ってたし、どうせ一人で身軽なんだし、ぱっと行ってみよう、って横浜へ越してきた。

まさかこっちで伴侶になる人に出会うことになるとは全くもって想像してなかったし、そういう気持ちになることも想像してなかったし、もう一回結婚する気になるとも思ってなかった。

夫は日々の練習を本当に毎日3時間きっちりやり、料理も自分で包丁を研いでがっつりやる人で、それを毎日見ていることも今の考えに影響が無いとは思わない。日々の積み重ねがいかに大切かという見本が目の前にいる。

習慣とは、長い間それを繰り返し行うことで、あたかもそうすることがきまりのようになったことである。基本的には、行動、身体的な振る舞いを指しているが、広くは、ものの考え方など精神的・心理的なそれも含みうる。
ある人の習慣は、後天的な行動様式であり、反復して行われることで固定化され、いつしかその人とその人の習慣を切り離して考えることができないような状態になる場合も多い。「習慣は第二の天性なり」とも言われる。

Wikipedia

習慣化は、心地よい。
今年も残すところ、あと1ヶ月。
良い習慣を身につけて、来年を迎えたい。

習慣化の天才、香雪。3回続けてやったらもう習慣にしてしまう。これはお昼に納豆を食べる習慣の、納豆待ちスタイル。

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